本の紹介@2010.9

8月に出産し、しばらく更新も滞りそうなので

最近読んだ本や今後の希望などについて。

【入院中読んだ本】

■『オンライン上のQ&A』(1)(2)ウ・コーウィダ著

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前作『真夜中のQ&A』が大変面白かったので購入した、いわば続編。

著者のウ・コーウィダはミャンマー南部の町ベイッのマハーシ瞑想センターに住むお坊さま。

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前作同様、世界各地のミャンマー人からメールで寄せられた質問に対し論拠正しく回答しています。内容は結構難しいですが、私の知らない話ばかりで勉強になります。

その一方で「Q.2012年に世界は滅亡するのですか?」「A.全くありえないので、心配する必要はありません(キッパリ)」「Q.性行為の際に仏を念じれば、子宝に恵まれると聞いたのですが…」「A.そんなことはどの経典にも書いてありません(キッパリ)」思わず吹いてしまいそうなやり取りも。更なる続編を期待しています。

■『為してしまった悪業をどのように消すのか?』ヤウェヌェ著

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友人からの頂き物の本。ヤウェヌェことアシン・ラージンダ師が某誌に寄稿したものをまとめた文集。

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実は数年前に同師の『ウペッカー』という本を購入したことがあるのですが、この方の文体は大変軽妙というか、くだけているというか、初学者には意味がとりにくい部分があって、当時は全く歯が立たずにお蔵入りとなってしまったのです。今回は相性が良かったのか、読めて嬉しかったです。

【これから挑戦したい本】

■アシン・インダチャリヤ

モービーのお坊さまで来日経験もあり。手元に頂き物の写真集と、著作が3冊ばかりあるのですが、完全文語体の本であるためなかなか進まずにいる状態です。

【これから聴きたい法話】

■ウ・トゥミンガラ(ウ・スマンガラ)

別名デーオーサヤドー。こちらのブログ記事で知りました。ミャンマー語の法話サイトやyoutubeで法話を数多く聞くことができます。(U Thumingalaで検索)本当に発音明瞭にゆっくり話してくださる方なので、聞き取りやすさナンバーワンです。ミャンマー語を勉強し始めて結構経ちますが、いつまで経っても話す・聴く・書くことは上達せず、そろそろ「ミャンマー語が趣味です」というのも恥ずかしくなりつつある私…。亀の歩みでもいいから、リスニングも続けねば…。

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真夜中のQ&A(18)

(38)正午過ぎにアトウッ(注)を食べても良いのですか?

Q)お坊さま、正午過ぎにサンガにラペットウッ(注)をお布施しても良いのでしょうか。正午過ぎにサンガにお布施しても良いものを教えてください。(訳者注…アトウッとは野菜・ゴマ・ナッツ類を油や調味料で合えたサラダのようなもの。ラペットウッはお茶の葉で作ったアトウッのこと。ミャンマーのメジャーなお茶請け。)

A)正午過ぎにサンガにラペットウッをお布施してはいけませんし、サンガもそれを受けてはいけません。食べるためのお布施というのは、まったくありえません。

マハーガンダーヨンサヤドーの『patimokka bhasa tika』で、アトウッに関して記述されています。現代のジントウッ(生姜のアトウッ)では、にんじん、油、塩、生姜が入っていますが、材料一つ一つを見ると7日間食べてもよい七日薬sattahakalikaと、一生食べてもよい尽形寿薬yavajivikaになるため、食べても良いと考えられています。しかし、生姜をもとのままではなくて、美味しくなるように調理して、一種のアトウッになるように図っているため、時薬yavakalikaに含まれると先師たちは考えていらっしゃいます。もし生姜は時薬ではないと否定しても、この生姜のために治る病気があってこそ、初めて食べても良いものなのです。理由なく食べたのであれ、空腹だから食べたのであれ、食べたら許されませんし、受けたら罪になります。飲み込むたびに悪作になります。

正午過ぎに比丘たちにお布施しても良いものは、以前にもお話した8種の果物のジュースのほか、タマリンド、なつめ、レモンライムのジュースなどもお布施できます、

(39)スーラーマニー仏塔の大きさと材料

Q)お坊さま、天界に建っているスーラーマニー仏塔で使われている材料は何でしょうか。また、一人の天人の身長が3牛呼gavutaとすると、仏塔はどれ位高いのかということも知りたいです。ドクター・ティンズィンウー

A)スーラーマニー仏塔の材料について、「帝釈青(サファイヤ)」とあるため、ルビーなどの宝石が使われています。このことは『マハーマーヤー伝』を引用しながら『samantacakku dipani』で述べられています。『大仏史』2巻204ページでは、この仏塔は7種の宝石で装飾されているとあるので、7種の宝石であると考えられます。

スーラーマニー仏塔の大きさを、文献ではさまざまに述べています。スリランカのスマナ沙弥が忉利天へ行って帝釈天に鎖骨の舎利を頼んだ際、帝釈天が1由旬yojanaの仏塔を開けて右の鎖骨を取り出して与えた、と『parajikana atthakatha』に書かれているほか、『大史』でも、1由旬となっています。『錫蘭事』では、3由旬となっています。『大仏史』2巻でも3由旬となっています。『jinalankala tika233ページでは30由旬と、それぞれ示しています。その他に、仏塔の高さも1由旬、3由旬、30由旬とそれぞれ述べています。どう考えたらよいのかということを『現代仏教Q&A』6巻であるサヤドーが検証したものを読みました。大変理にかなっているため、ご紹介します。

さまざまな文献の中での見解は一致しませんが、考えてみるべきなのは帝釈天の住む最勝殿です。ダンマパダ注釈書で、帝釈天の住む最勝殿が700由旬とあるので、お釈迦さまのスーラーマニー仏塔が3由旬というのは低すぎます。30由旬という可能性が高いであろうとお答えいたします。

(40)梵世界のドゥッサ仏塔のこと

Q)梵世界のドゥッサ仏塔のことを知りたいです。本で読むと、衣服が収められていると書かれています。ほかにはどのようなものが宝蔵されているのかを知りたいです。

A)ドゥッサ仏塔についてですが…。シッダッタ王子は髪を切ってのち「今私が着ている服は、出家者にはふさわしくない。これも捨てたほうが良い」と考えたそうです。そのときカッサパ仏の時代に友人であったガティカーラ梵天が、天の蓮の茂みのひとつの蓮の花から八資具を取り出して、菩薩にお布施しました。菩薩は梵天の王がやってきてお布施した八資具を美しく身につけ、もとの服を渡したそうです。そうして手渡した衣服を梵天の王が持っていき、首陀会天に仏塔を建てました。(『大仏史註釈書』333ページ)

ドゥッサ仏塔を建てたガティカーラ梵天という方はカッサパ仏の時代に、お釈迦さまとたいへん親しい壷作り職人でした。カッサパ仏の法話を聞いて不還者になった一人でした。不還者となって死んだならば、首陀会天(五浄居天)5つのうちのどこかに生まれます。ですからガティカーラ梵天は首陀会天5つのうちの色究竟天(阿迦尼咜天)akanitthaにいます。仏塔の高さは12由旬あるといいます。(『samantacakku dipani』)

もうひとつの質問ですが、ドゥッサ仏塔に衣服以外に宝蔵されているものについて、書いている文献は見当たりません。衣服のことをパーリ語でドゥッサといいます。衣服を宝蔵していることに基づきドゥッサ仏塔と呼んでいることをお答えいたします。

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文献名ですが、日本語訳に自信がないのでパーリ語のまま表記しました。パーリ語フォントを使っていないので余計に分かりにくいかもしれませんが、ご容赦ください。

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真夜中のQ&A(17)

(34)スバッダの生まれ

Q)最後の弟子となったスバッダについて、チャーパーとウパカの息子だと言う人たちもいますし、バラモンの生まれだと言う人たちもいます。どちらが正しいのでしょうか。 ドクター・ティンズィンウー(イギリス)

A)この質問が私のところに届いてから、3日ほど経ちました。

最後の弟子となったスバッダは、チャーパーの息子のスバッダではありません。お釈迦さまが般涅槃なさり、マハーカッサパ長老がパーワー国からクシナガラへ多くの比丘といらした時、お供の比丘の中で「お釈迦さまはすでに般涅槃なさったので、もう自由に行動しても良いのだ」と無作法な発言をしたスバッダでもありません。正しくは、とても有名で豊かなバラモン出身の異教徒でした。お釈迦さまに教化され得る最後の異教徒の一人であったとお答えいたします。

(35)法話をする際に、「おまえ」「俺」などの言葉を使っても良いのですか?

Q) モーゴッサヤドーがお釈迦さまの法話を翻訳した本で、「おまえ」「俺」「~だよ」などの言葉遣いで書いていました。お釈迦さまはこのようにはおっしゃらないだろうと考え、気分を害しました。文章を噛み砕いて伝えようという気持ちで書くのなら、構わないのでしょうか。

A)質問者はこのような言葉遣いのせいでご不快に思われたのだろうとお察しします。

このことに関して言うなら、法話にこのような言葉遣いを用いるのは、昔から趣味で行われてきた可能性があります。もしくは純粋な善意で、檀家のために話されているのなら罪にはなりません。「おまえ」「俺」「~だよ」だけではありません。お釈迦さまの時代に、ピリンダワッチャという大長老がいました。大長老はお寺であっても村の中であっても、親しくしている人、出会う人みんなに「おい、バカ、来い」「おい、バカ、行け」と言っていました。これを繰り返し耳にした比丘たちがお釈迦さまのところへ行きました。お釈迦さまがピリンダワッチャ長老を呼び「息子よ、このように言っているというのは本当ですか」と尋ねると「その通りです」と答えました。

お釈迦さまがピリンダワッチャ長老の過去世を振り返って考察すると、大長老は5回もの生でバラモンに生まれ「バカ」という言葉を使っていました。大長老は怒っていたのではなくて、幾多の生の習慣に基づいて話していたのを知り「息子たちよ、ピリンダワッチャを非難しないでください。彼は怒りのために話しているのではありません。煩悩を離れた無漏の人たちは、他人に粗野に振る舞い、他人を傷つける言葉を話すことはもうありません。過去世からの習慣で言っているだけなのです」とおっしゃいました。

これと同じく、モーゴッサヤドーの「おまえ」「俺」「~だよ」という言葉遣いも、心の中に怒りがなくて、檀家に理解させたいという熱意で言っているようです。「バカ」という言葉は「おまえ」「俺」「~だよ」という言葉よりも何倍も粗野です。しかし、傷つけてやろうという気持ちがないので罪にはなりません。ですからモーゴッサヤドーの「おまえ」「俺」「~だよ」という言葉遣いも、怒りで言っているのではなくて、文語を分かりやすく教えようという気持ちで話しているため、問題ないと言えます。

(36)お酒を善意でご馳走しても良いのですか?

Q)お酒を好きな友人たちから、お酒をご馳走して欲しいと頼まれたなら、そうするべきでしょうか。また、私がタイに移り住んだとき、ある友人がきついお酒を豆をつまみに飲んでいるのを見ました。飲んでいたお酒も安物のきついお酒でしたし、きちんと食事もとらず炒り豆4、5粒だけで飲んでいました。このような場合、胃を壊すのが心配で食べ物をご馳走したら罪になるでしょうか。

A)友達が頼むたびにお酒をご馳走するのは良くないことです。五戒の中にアルコールを飲む事を避けるという戒があります。お酒を自分で飲むことも、他人に売ったりあげたりすることも倫理に外れることになります。自分があげたお酒を飲んだ人たちは、お酒のせいで普通の心の状態ではなくなり悪行為をすることを嫌だと思わなくなります。お酒をあげることで利益よりも不利益を多く与えるため、お酒はあげてはいけないものの中に含まれます。

2つ目の質問の、友達が胃を壊すことを心配し酒のつまみとして食事をご馳走することは罪にはなりません。何故かというと、彼に病気になってほしくないという慈しみの心でご馳走するからです。ご馳走した食事によって彼の健康上の利益を与える可能性があるため、罪にならないばかりか功徳を得られます。ただひとつ、このような気持ちではなくお酒をたくさん飲ませようという気持ちでご馳走したなら、お酒を勧めることになりますので、罪になるでしょう。

(37)名前に「アナーガーミン」がついていること

Q)比丘たちが自分の悟りのレベルを口にしているのを見たことがありません。しかし在家者のサヤー・テッジーは、彼の名前の前に「アナーガーミン(不還)」という言葉をつけて「アナーガーミン・サヤー・テッジー」と言っています。この理由を説明してください。 ウ・ティンスエ(オーストラリア)

A)アナーガーミン・サヤー・テッジーの生涯についてダンマチャリヤ・ウ・テーフラインの著作を読むと、たいへん尊敬でき、修行している人にとって信心が増し、瞑想したいという気持ちも生じてきます。サヤー・テッジーは在家者の一生を通して精一杯修行し、可能性ある人たちを指導し、一般人には知ることが困難な知識を持っていたなどの特別な見識があったことは、本を読んで初めて分かります。サヤー・テッジー自らが「わたしは不還者だ」と悟りのレベルを話していたという記述は、彼の生涯の中で見当たりません。彼の業績に基づいて、周りの人々がそのように呼んだのだろうと思います。

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真夜中のQ&A(16)

(31)兄弟姉妹を結婚させること

Q)ナンダ王子と妻のジャナパダカラーニーは、母親のゴータミー妃が生んだ父も母も同じ兄妹だそうです。昔のインドでは、いとこや異母兄妹を結婚させることがありましたが、母親が同じならば避けます。お釈迦さまの弟と妹は、兄妹でありながら何故結婚させられたのでしょうか。 マ・タズィンミン(オーストラリア)

A)ナンダ王子とジャナパダカラーニーが血の繋がった兄妹であるということは事実です。しかし、何故結婚させられたのかというと、彼らがシャカ王族だったためです。シャカ王族には親類同士互いに結婚するという習慣がはるか昔からありました。ここでは、シャカ族の成り立ちを説明する必要があるでしょう。

お釈迦様はある前世で豊かなバラモンに生まれ、名前をカピラといいました。豊かな生まれを捨て、ヒマラヤのふもとのチークの森の池のそばに木の葉葺きの庵を建てて、行者となって住んでいました。

ある日、ウッカームカ王子が率いる一団が、村や町を作るための場所を探していたところ、カピラ行者の庵にたどり着きました。行者が王子たちに「皆さん、どこへ行くのですか」と尋ねると、王子たちは「村や町を作る場所を探しています」と答えました。カピラ行者は王子たちを憐れんで「王子さまたち、私の庵のある場所に街を作るならば、この世で最も尊い町のひとつになるでしょう。この町に生まれる男の子のなかで、ある一人の男の子は、他の何百何千人を支配するでしょう」と言いました。王子たちが「行者さま、この場所は今あなたがお住まいになっている場所ではありませんか」と言うと「王子さまたち、この場所を今私が住んでいる最中だからといって心配しないでください。私は辺境のどこかにまた庵を建てましょう。私が示した場所に町をお作りください。町の名前は“カピラヴァットゥ”と名付けてください」と言いました。

ウッカームカ王子率いる王子たち4人は、大勢の貴族や将軍たちとともに行者が示した場所にカピラヴァットゥという名の町を作り、暮らしました。王子たちが成長し、結婚するべき年齢になったとき、大臣たちは「王子たちも、王女たちも年頃になった。本当にウッカーカ父王のお側にいてもらうためには、王子たち、王女たちにそれぞれ結婚相手を迎えるのが良いだろう。そうすれば私たちの責任は果たせる」と考えて、王子たちにこのことについて話しました。

王子たちは「大臣たちよ、この地方には私たちと同じ血族の王女はいません。妹たちと同じ血族の王子もいません。別の血族のものと結婚したならば、生まれてくる子どもたちの血は汚れてしまうでしょう。ほかの家系と混じってしまうでしょう。ですから、長姉のピヤを母と定め、血が絶えることを防ぐために、残りの私たち弟4人と妹4人が互いに結婚しましょう」と相談して結婚し、カピラヴァットゥで暮らしました。

こうして、それぞれの夫婦から生まれた子供たちと幸せに暮らしました。ほかの種族とは交わらずに互いに結婚し繁栄したことを、ウッカーカ父王が賞賛しました。この賞賛の言葉の中の、サキャ、達成、実現を表す言葉に基づいて、ウッカームカ王子をはじめとする王子、王女たちの一族をサキャ族(シャカ族)と呼ぶようになりました。

要約すると、シャカ王族はナンダ王子のときに兄妹が初めて結婚したのではなく、はるか昔から兄妹同士結婚する習慣があった、とお答えいたします。

(32)預流者はお酒を飲むのですか?

Q)ある作家が「預流者が飲酒したならば、鶴が水を飲むように水だけが体内に入る。アルコールは入らない」と言っていました。このことについて知りたいです。

A)、「預流者がまだ飲酒する」ということはありません。なぜなら、預流者はすでに凡夫ではないからです。三宝を完全に信じているように、五戒も受けなおす必要がないほど完全です。もし「酒を飲まなければ殺す」と脅迫されても、飲まずに殺されるでしょう。戒を破らないというのは聖人である預流者の自性です。このことについて、マハーシサヤドーの『聖居ariyavasa』から抜粋してお示しします。

(先ほどの作家は、「預流者はお酒を飲むまで五戒を破る可能性がある」と文集の中で書いています。彼は人間心理を学んだそうです。勉強したために、このように大胆に言えるのでしょう。心理を学んだのは確かなのでしょうが、彼は自分が預流者であるかのように考えているようです。そして、預流者がお酒を飲むこともある、と聞いたのでしょう。自分の心と比較して判断を下したしたようです。これは驚きです。「五十歩百歩」と言うことわざは、レベルが同じ人たちに当てはめるべきことわざです。レベルが違うときには、自分に引き当てることは大変失礼なことです。考えてみてください。算数を習ったことがない人が、数学博士になった人に対し、数学に関して「私のようだ」と照合したならば大いにかけ離れてしまうでしょう。とても失礼だということが分かります。このようなものです。凡夫が自分の心と比較して預流者のことを判断したならとても失礼で、とてもかけ離れてしまいます。

真の預流者になった人はサティが非常によくできています。このため、急に欲が起こってもサティがひとりでに生じて止めます。サティが監督しているため貪は力を失います。大きくはなりません。怒りも同様に、サティが止めます。こうして不善業は度を越して大きくはならないのです。戒を破るまでに激しいものとはなりません。そのため預流者は悪趣へと行かせる不善業がなくなります。四悪趣から自由になったと信じて安心できます。これは良いサティによる利益です。)

これが預流者の本来の性質です。ですから「預流者が飲酒したならば、鶴が水を飲むように水だけが体内に入る。アルコールは入らない」という言葉はまったくありえないことだとお答えいたします。

(33)マッリカーが無間地獄に堕ちたこと

Q)コーサラ国王妃マッリカーが、死後天界へ行く前に、彼女の罪のため7日間無間地獄に堕ちたのは何故なのかを知りたいです。

A)コーサラ国王妃マッリカーは、彼女の不善業のために、ダンマパダ注釈書によれば死ぬ間際に生前行ってきた多くのお布施を念じずに、自分の不善業のことを繰り返し何度も念じていたため、死後無間地獄へ堕ちました。これによると、彼女は自分の不善業について思い出し、不安で心配になっていたことが明らかです。

死ぬ間際に悩むというのは後悔kukkuccaです。アビダンマ注釈書では、瞋dosaには瞋dosaissamacchariya後悔kukkuccaが並んでいます。この4つの心所は怒りの特許、怒りの親戚です。繰り返し悩むというのも怒りです。ですから「怒りで死ぬと地獄は免れない」ということわざの通り、マッリカーは無間地獄へ堕ちました。しかし彼女の行った善業の力が大変大きかったため、7日間だけ苦しみを受け、その後トゥシタ天へ行きました。このように答えいたします。

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真夜中のQ&A(15)

(30)アショーカ王の最後の生涯

Q)シリーダンマソーカ王(アショーカ王)の最後の生涯のことを詳細に知りたいです。お答えください。 コンミャフライン(バンコク)

A)シリーダンマソーカ王の最後の生涯のことをお話しすると、長くなるかもしれません。しかし興味深く、参考にもなる話なので、全てお答えしましょう。

シリーダンマソーカ王が過去世で蜂蜜商人だったときに兄であった、デーヴァーナンピーヤティッサ王は忉利天で神通力の強い天人でした、忉利天の帝釈天が、人間界のスリランカで仏教の布教をしてくださるようにと頼んだため、スリランカのサッダーティッサ王の時代に、アショーカ王がサンブーラ長老の息子、デーヴァーナンピーヤティッサ王はビャッガサーラ女長者の息子として生まれました。

7歳のときに出家して、アショーカ王はクンダラティッサ(クッダティッサ)、デーヴァーナンピーヤティッサ王はビャッガ(マハービャッガ)と名づけられました。彼ら二人は四無碍解を証し阿羅漢者となりました。この二人は生まれるときも一緒、出家するときも一緒、教典も一緒に学びました。般涅槃なさるときも、強大な神通力を示しながら、次々に前後して般涅槃なさいました。

この二人の大長老がアショーカ王とデーヴァーナンピーヤティッサ王であったことは、多くの王統史に記されています。彼ら二人の最後の生涯は、たいへん美しかったと言えるでしょう。『閻浮提 錫蘭物語』を紐解くと、クッダティッサという方がアショーカ王であったこと、マハービャッガという方がアショーカ王の友人であったことが示されています。王の友人が誰で、出家して何年かということを正確に示しているものはありません。しかし何であれ、アショーカ王は解脱に達したといえるでしょう。

この二人の大長老の、美しい絵画のような生涯のことを増支部経典註釈書と、『閻浮提 錫蘭物語』を元にお話しましょう。

仏暦407年、スリランカでサッダーティッサ王が即位しました。ある日王が「お坊様方、私が礼拝供養するにふさわしい大長老は誰か教えてください」とサンガに尋ねました。サンガは、マンガラ地方に住むクッダティッサ長老のことを話しました。(『摂真髄』と『錫蘭事』にはマンガナワーティー クッジャティッサ長老とあります)

サンガにそのことを聞いた王は大長老に会いたくなり、お供の大臣達を大勢同行させ5ユザナ離れている大長老の元へと行きました。そのとき大長老が車、人、馬、象の音を聞き、「この騒音はどこからの音ですか」と比丘たちに聞いたところ、比丘たちは「王様が長老の元へお越しになったからです」と答えました。大長老は「私はすでに年老いました。この年になって王と親しく付き合いたくはありません」と言って、王が来ないうちに日の照っている地面に寝転び、地面を手で引っかくふりをしました。

王は大長老の元へ到着しました。地面を手で引っかいている大長老を離れた場所から見て、急に立ち止まり、「阿羅漢者たる人が、こんなに手癖が悪いということはありえない。他人がどれほど阿羅漢者だと言っても、これは阿羅漢者の姿ではない」と考えて決心しました。

それで、大長老に頭も下げずにすぐに引き返しました。王が引き返すと、サンガは驚いて大長老に「信心からやってきた王に対し、どうして気分を害するようなことをなさったのですか」と言うと、「皆さん、王の信心を守ることは、あなた達の責任ではありません。これは私達大長老の責任です。大長老が信心を守ることができるのです」と答えました。この言葉を、サンガはそのときは理解できませんでした。(聖人の意図を凡人が知ることは非常に困難です)

大長老が年をとり般涅槃が近づいた時、弟子たちに「私が死んだら霊柩車のやぐらの上に空の棺をひとつ入れておいてください」と言いました。弟子たちも、聖人のおっしゃることはよくわかりませんでしたが、素直に長老がおっしゃった通りに空の棺を用意しました。

<空へ上った遺体>

大長老は「私の霊柩車を王が見たなら、すぐにまっすぐに地面に降りますように」と誓願して般涅槃しました。弟子達が準備しておいた霊柩車に遺体を載せたところ、霊柩車はやぐらの空の棺とともに空へ浮かび、王のいる5ユザナ離れた場所へとまっすぐに飛んでいきました。5ユザナの道中、全ての木は幟のようにゆらゆらとひるがえり、遺体を供養しました。木々は季節はずれの実や花で生い茂り、芽吹き、供養しました。

サッダーティッサ王は「クッダティッサ大長老が般涅槃なさったそうだ、霊柩車が空を飛んで来ているそうだ」という噂を信じませんでした。大臣達が「本当に本当です」と言っても信じずにいました。

こうして霊柩車は空を飛んでトゥーパーヨン仏塔を右回りに3回まわって、石仏塔へと着き、空中へ留まりました。もっと奇妙なのは、やぐらが空に留まっていたとき、石仏塔が根こそぎ空のやぐらの所へと上り、鎮座していたことです。国民達は見たこともない奇妙な出来事を、一斉に集まって見物しました。

<空に上って般涅槃したビャッガ大長老>

霊柩車が空に留まって礼拝されていたとき、近くの九重の銅製のやぐらの上で、マハービャッガ大長老は弟子達に律を教えていました。ざわざわと騒がしい声が聞こえてきたので「皆さん、あれは何の音ですか」と聞くと、比丘たちが「マンガラ地方のクッダティッサ長老が般涅槃し、霊柩車が空中に留まっています。そのため人々が霊柩車のやぐらを供養しているのです」と答えました。

マハービャッガ大長老も、弟子達に教えを説くと「みなさん、今日、徳業の人を頼り、私も供養をしましょう」と言って、近くの弟子達に身口意での罪を許してもらえるように謝ると、教訓も与えました。その後大長老は空へ飛んでやぐらの空の棺の中へ横たわり、般涅槃しました。

サッダーティッサ王も、近くの空で留まっている霊柩車を礼拝供養しました。その時、空に留まっていた霊柩車は地面へとゆっくりと降りてきました。王は全ての間違いを懺悔し、大いに供養しました。火葬が終わると、二人の大長老の舎利は仏塔を建てられ信仰されたそうです。アショーカ王の最後の生涯の話は、これで終わりです。

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